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初代ノッティンガム伯爵、チャールズ・ハワード(、1536年 - 1624年12月14日)は、イングランドの貴族、政治家、海軍軍人。 1585年から1619年にかけてを務め、アルマダ海戦をはじめとするスペインとの戦争を指揮した。 == 経歴 == 1536年、第2代ノーフォーク公爵トマス・ハワードの末子である初代エフィンガムのハワード男爵とその妻マーガレット(旧姓ガメッジ)の長男として生まれる〔DNB〕。父はエリザベス女王の大叔父に当たり、王女時代のエリザベスを庇護した〔石井(2009) p.454〕。 1559年にフランソワ2世のフランス国王即位の祝賀のための大使を務めた〔。1569年のの際には第3代ウォーリック伯爵のもとで騎兵隊の司令官を務めた〔。 1573年1月に父の死去によりハワード男爵位を継承した〔〔。1574年4月にガーター騎士団ナイト(KG)に叙される〔〔。 1585年5月にに就任した〔。慎重にして勇敢なハワード卿は瞬く間に船乗りから絶大な信頼を寄せられた〔石井(2009) p.454〕。1588年には海軍総司令官として副司令官フランシス・ドレークとともにアルマダ海戦を指揮した〔海保(1999) p.166〕。ハワード卿はこれまでの海戦の常識を打ち破る大型船での火船戦術を採用してスペイン無敵艦隊に大打撃を与え、同艦隊を撃退することに成功した〔青木(2000) p.149-152〕。 しかし海戦の勝利後、政府は海軍軍人に対して恩賞はおろか給料支払いさえ出し渋ったため、海戦の生き残り水兵たちに餓死者や病死者が続出した。ハワード卿はこれに憤怒し、女王エリザベス1世や宰相初代バーリー男爵ウィリアム・セシルに「水兵たちは祖国にこれほど貢献したのに何故飢えに暮らしまねばならぬのか」と詰め寄っている〔海保(1999) p.166-167〕〔石井(2009) p.464〕。しかし政府は出し惜しみをやめなかったので結局ハワード卿やドレークが身を削って私費で水兵たちにお金を配った〔。 1596年6月のカディス攻撃でも第2代エセックス伯爵ロバート・デヴァルーとともに司令官となり、100隻以上のスペイン船を破壊したうえ、2隻のスペイン大型戦艦を拿捕することにも成功した。さらにエセックス伯爵率いる部隊を上陸させ、カディスを占領した〔石井(2009) p.499-501〕。同年10月、ハワード卿はアルマダ海戦とカディスでの戦功により、ノッティンガム伯爵位を授与された〔石井(2009) p.505〕〔海保(1999) p.167〕。 この頃、エリザベスの宮廷内は和平派(バーリー卿派)と戦争続行派(エセックス伯爵派)に別れていたが、ノッティンガム伯爵は前者に属した〔石井(2009) p.510〕。1598年7月1日の会議ではエリザベス女王の侮辱に耐えかねたエセックス伯爵が女王に向かって剣の鞘に手をかける事件があり、この際にはノッティンガム伯爵が二人の間に割って入り、エセックス伯爵を諌止している〔石井(2009) p.513-514〕。さらに1600年2月8日にエセックス伯爵がクーデタを起こそうとして失敗した際にはノッティンガム伯爵が女王の軍隊を指揮してエセックス伯爵の屋敷を包囲し、彼を逮捕している〔石井(2009) p.539〕。 1603年3月にエリザベス女王が崩御し、ステュアート朝のジェームズ1世の治世が始まった後も海軍卿の地位を維持し、1619年まで務めた〔。 1624年12月14日に死去した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チャールズ・ハワード (初代ノッティンガム伯爵)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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